ふぉーあーとあふたー1
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#1 [匿名リポーター] 22/02/13 04:14
気付いたら既婚
#32 [匿名リポーター]
動物は皆そう
:24/05/07 01:53 :iPhone :hjYx5NAI
#33 [匿名リポーター]
人生が辛い人には、死は救いでしかない
:24/05/07 08:04 :iPhone :hjYx5NAI
#34 [匿名リポーター]
死という精算が保証されているから、
生の覚悟ができる。
この生でなにがあっても、どれだけつらくても、それはこの生に限られた話だと、死ねば、全てから解放されると
そのとき、マイナスの人は、そう思う。プラスの人は、死を恐れるのかもしれない
:24/05/07 08:06 :iPhone :hjYx5NAI
#35 [匿名リポーター]
宗教には詳しくないが、多くの教えで天国や地獄、輪廻転生の概念があるのは、とても納得がいく。
それらの概念は、死の精算、救済という側面を覆い隠している。
死は、物質でいう、融点や沸点のような通過点でしかなく、その先も、あなたは存在して、この生でした行いの責任を負うんだと、そういうことで、民衆をお行儀よく、時に統治しやすくしたのだろう。
:24/05/07 08:10 :iPhone :hjYx5NAI
#36 [匿名リポーター]
死が通過点ではなく、終点、終わり、魂やその他全ての消滅を意味するのなら、この生でしたことの責任は、この生だけでとればいい。
どんな極悪人も、英雄も、博愛主義者も、臆病者も、みな同じくタンパク質が分解され、土に還って草木を育てるのなら、この生は何をしてもいいじゃないか。
そういう考えを、法や貨幣経済その他システムが未発達な社会で押さえ込むには、さきほどの死後の世界的な概念が、最適だったんだろうな
:24/05/07 08:14 :iPhone :hjYx5NAI
#37 [匿名リポーター]
つまるところ、覚悟なんていってるけど、この生の間に限られた話
:24/05/07 08:36 :iPhone :hjYx5NAI
#38 [匿名リポーター]
どうせ死ぬなら、どうして生きるのか、という疑問もあるが、それは、そういうもん、というアプローチと、その人の頭で計算したらまだプラスになるから、というアプローチがあるとおもう。
:24/05/07 08:38 :iPhone :hjYx5NAI
#39 [匿名リポーター]
差し当たって5年くらいしか大した予測はできないけれど、とりあえずその期間は日本は平和で、自分も健康で、収入もあるだろう。ならば、天下一品にいけるし、子供と水族館に行ける。マイナス面も、差し当たっては思いつかない。であるならば、明日は生きるのが合理的だろう。
そう言う計算。
そして、その収支がマイナスにふれた時、ひとは自暴自棄になってしまい、なおかつ死後の世界観的概念の信者でなければ、そこで死を選んでしまう
:24/05/07 08:41 :iPhone :hjYx5NAI
#40 [匿名リポーター]
死の選択はつねに反応的だと思う。
一定のパラメータが閾値をこしたら発現する
:24/05/07 08:43 :iPhone :hjYx5NAI
#41 [匿名リポーター]
人間一人一人には、本当にいろんなものが詰まっていて、一人一人が、思いもよらないことを考えている。だから、相手の立場に立ったり、他人の思いに寄り添うことは、完全にはできない。思いやりとは、他人には、自分の想像できない何かが詰まっていると考えて、その何かを尊重することであると、思う。
:24/05/09 12:34 :iPhone :nGAYuZeU
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